広報誌
慰霊第17号より
国立追悼施設建設を憂える
長かった自民党体制の時代に一区切りをつけて、鳩山民主党政権が誕生した。折角の政権交代、この国のために良かれと期待もするが、懸念も相半ばする。その懸念の一つが国立戦没者追悼施設建設のことである。民主党は昨年発表した「民主党政策集INDEX2009」の中に、無宗教の新たな国立追悼施設建立に取り組むことを盛り込んでいる。更に、民主党の岡田幹事長(当時)は八月、中国メディアによる共同インタビューで、「A級戦犯は罪人であるから、首相は靖国神社に参拝すべきでない」と発言している。同時期、民主党の鳩山代表も、自らの靖国神社参拝を否定した上で、「どなたもわだかまりなく戦没者の追悼が出来る国立追悼施設の建設を視野に入れながら、党として取り組んでいく・・・」と述べている。新政権発足直後から目前の政治案件処理に追われてか、本問題は一応話題から遠のいているが、突発的再燃の可能性無しとせず、靖国神社を拠り所として戦没者慰霊に携わっている我々としては、本問題を注意深く監視し、たゆまず建設阻止のための活動を続ける必要があると考える。
改めて戦没者慰霊に思いを
現在、靖国神社には、戊辰戦争以来、国のために殉じられた戦没者の御霊246万6000余柱が祀られている。それら戦没者の殆どは、国家の命令で戦場に赴き、国のため、民族のために、尊いいのちを捧げられた人たちである。今日、私どもが享受しているわが国の未曾有の平和と繁栄は、明治以来1世紀余に及ぶこれら戦没者の尊い献身の上に築かれたものであることを、我々は決して忘れてはならないし、またその思いを後世に伝えてゆく努力を怠ってはならないと考える。先の大戦が終わり平和を謳歌して65年、今日の日本実現の尊い礎となられた戦没者に対する感謝と敬意の念が、ともすれば薄らぎつつあることを憂える。目先の対応にとらわれての新追悼施設建設構想は、戦没者慰霊の本質を忘れての議論ではなかろうか。
靖国は戦没者慰霊の中心的施設
明治天皇の思し召しによって創建され、明治維新以来の戦没者、国事殉難者を祀る靖国神社は、戦後の連合軍の占領政策によって国の管理下を離れ一宗教法人としてのみ存続することを余儀なくされた後も、大東亜戦争の戦没者合祀を国に代わって使命として受け継ぎ、創祀以来の戦没者慰霊の祭祀を営んできている。戦没者の多くが、その遺書や遺稿に見るとおり、家族には靖国神社に会いに来るよう言い残し、戦友には靖国神社での再会を約束して、雄々しく散って逝かれた方々である。今も遺族・戦友の多くが、靖国に祀られた御霊に会いに九段の坂を登って行かれる。各国要人の多くも、一部の例外の国を除いて、宗教の違いを越えて靖国の神前に頭を垂れ、今日の日本の礎となられた戦没者に敬意を表される。東京を訪れる各国軍人の多くも、靖国神社を訪れ、かっての勇士の霊に敬意を表してくれる。こうした内外の靖国神社参拝者数は、今も年間6百万人を数えるとのこと。靖国神社は、近代日本創設の明治以来の歴史と伝統のもと、今もわが国における戦没者慰霊の中心的施設であり続けていると確信する。
靖国と「特定の宗教性」は無縁
「民主党政策集INDEX2009」は、新たな国立追悼施設に、「(どなたもわだかまりなく戦没者の追悼が出来る場所として)特定の宗教性をもたないこと」を強調している。靖国神社に「特定の宗教性」を意識しての主張であろうが、明治維新以来、国のためにいのちを捧げた戦没者の御霊を祀る靖国神社の歴史は、近代日本の歩みとともにある。連合国軍の占領政策によって戦後、宗教法人としてのみ存続することを余儀なくされたが、創建以来の靖国神社の性格や祭祀は一切変わるものでなく、その歴史と伝統が途切れた訳でもない。戦没者慰霊のためのわが国の中心的施設として長きにわたり国民に親しまれてきた靖国神社に、今改めて特定の宗教性を意識する日本人は殆どいないと考える。それは、特定の宗教信仰とは無縁の形で村の鎮守さまにお詣りするのと同じ、日本古来の民俗風習とでも説明できようか。靖国神社は、日本人にとって今も変わらず、神になられた戦没者に対する万民共通の祈りの場なのである。戦後、靖国神社を占領軍の焼き払い計画から救った恩人として、駐日ローマ法王庁ヴァチカン公使代理ビッテル神父の名前が挙げられるが、彼は次のようにマッカーサー占領軍総司令官に進言したと聞く。「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務がある。・・・・もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。・・・・神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰する者であろうと、国家のために死んだ者は、全て靖国神社にその霊を祀られるようにすることを進言する」
「戦犯」は日本には存在しない
「民主党政策集INDEX2009」は、(今一つのわだかまりとして)「靖国神社にA級戦犯が合祀されていること」を問題視している。国際法や近代刑法の原則を無視して、戦勝国が敗戦国日本を裁いたのが東京裁判であり、いわゆる「A級戦犯」の烙印はその所産であるが、彼等は時の国策遂行責任者ではあるが「犯罪人」ではない。講和条約発効直後の昭和二十七年五月、連合国による軍事裁判受刑者は国内法上の犯罪人として扱わないとする法務総裁通牒が発せらた。また、日本弁護士連合会を皮切りに全国各地に広がった戦犯赦免運動は4千万人とも言われる膨大な数の署名を集め、「戦犯」の名誉回復を求める国民の願いとして政府・国会に届けられた。昭和二十八年八月には「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が左右社会党を含む当時の与野党殆どの賛成で衆議院本会議通過、関係国の同意も得て、いわゆる「戦犯」はA級を含め全て釈放された。以後、遺族援護法・恩給法などの関係法令も累次改正され、「戦犯」本人及び同遺族の全てが一般国民と同様に扱われるに至ったが、それらの国会決議・政府措置は全て、わが国の独立とともに、連合国の押した「戦犯」なる烙印を払拭し、たとえ戦争指導者であっても、共に国のために戦い、共に国に殉じた人々として同じに取り扱うべきだとの、当時の率直な国民感情の現れであったと考える。A級に限らずいわゆる「戦犯」の方々の「昭和殉難者」としての靖国神社合祀は、こういった当時の国内一般世論とそれを受けた政府措置に基づく当然の帰結だったのである。
*鳩山総理及び民主党が考える「国立追悼施設」が如何なるものか定かでないが、長きにわたり戦没者慰霊の中心的施設として国民に親しまれ、今も年間参拝者6百万人に及ぶ靖国神社の存在を無視して新たな戦没者追悼施設が建設されるとすれば、その結果、素朴に戦没者慰霊に思いを寄せる国民世論を真っ向から分断することになりはせぬか、それこそ、この国の平穏を祈り民族の安寧を願って散華してゆかれた戦没者の御霊に対する冒涜ではないかと危惧するものである。一方、これまでの靖国神社に替えて新しい戦没者追悼施設が考えられているとすれば、これまた由々しき問題である。明治以来のわが国の歴史と伝統に基づく国民挙げての祈りの場としての靖国神社の否定は、国が靖国に祀ってくれることを確信して散華された英霊に対する背信行為であることはもとより、明治以来、営々として培われた日本人の精神文化そのものの解体につながりかねないことを深刻に懸念する次第である。
(柚木文夫記)
慰霊第24号より
戦没者御遺骨帰還事業に参加して
この度、硫黄島戦没者御遺骨帰還事業の平成23年度第1回特別派遣に参加した。
菅直人前内閣総理大臣の事業参加者公募範囲拡大指示に基づき、当協議会においても偕行社、水交会、つばさ会、日本郷友連盟、隊友会等の関係諸団体にも当協議会派遣協力会員としての参加を呼びかけ、現在58名(平成13年11月25日時点)の参加希望の申し出をいただいているが、今回の当協議会からの派遣は、派遣団総枠の関係で5名(協議会事務局1名、偕行社1名、水交会1名、隊友会2名)の参加にとどまった。
今回の派遣団総勢63名中の民間参加者は50名、そのうち20名がJYMA、国際ボランティア学生協会などの若い人達で占められたことは特筆に値する。戦争を知らない若い世代が、遺骨帰還事業参加を通じて、わが国が国の存亡を賭けて戦った大東亜戦争のことを改めて認識し、愛する故国のため、家族のために敢闘した勇士を偲び、散華された戦没者の尊い御霊に思いを馳せ、その思いを周囲の同世代に伝える語り部となってくれることを大いに期待するものである。
今回の派遣は、自衛隊の支援を受けて、11月29日結団式、30日硫黄島渡航、天山慰霊碑追悼式、12月1日~5日遺骨収容作業、6日撤収作業、帰還報告式、7日帰航の日程で行われ、遺骨収集作業は、昨年発見の米側文書に基づく滑走路西側集団埋葬地域に集中して実施された。同文書には約2000柱の埋葬が記録されている由であるが、昨年度の663柱収容に引き続き、今回の我々の派遣では短期間ではあったが155柱の御遺骨をお迎えすることが出来た。
御遺骨帰還のこれまでを振り返って
先の大東亜戦争は、アジアのほぼ全域において戦われ、勇戦敢闘空しく240万のわが国陸海軍将兵が戦火に倒れられた。しかしその内、故国に御遺骨をお迎え出来たのは127万柱に止まっている。即ち、110万余柱の御霊が遠く南溟朔北の戦場で、未だに故国への帰還を待ちわびておられるのである。
海外戦没者の御遺骨の収集作業は、平和条約発効により日本が独立を回復した昭和27年から開始された。
対日平和条約が批准された昭和27年の第13回国会において海外戦没者の遺骨の問題が取り上げられ、次の決議が採択された。『苛烈なる戦火終熄してよりここに7年、今や平和条約発効により独立を回復した今日、海外諸地域並びに本邦周辺海域で戦没した同胞の遺骨が未だ収容されないままあるいは埋葬地も荒れ果てたまま放置されているものがあることは誠に遺憾なことであるとともに、遺家族の心情察するに余りあるものがある。ここにこれら未だ帰らざる慰霊を早急に故山に迎えることは我々の久しく念願しているところであって、現状のまま放置されていることは国民感情上忍び難い問題である。よって政府は、これら同胞の遺骨の速やかな収容、送還並びに墓地維持のため、万全の対策を樹立するとともに、これが実現を図るべきである。』
これを受け、「米国管理地域における戦没者の遺骨の送還、慰霊等に関する件」(同年10月)、「海外戦没者遺骨の収集等に関する実施要綱」(翌年1月)が閣議決定され、以降、政府の手によって計画的に遺骨収集が始められることとなった。当初は国交未回復国、入域至難地域も多く実行は困難を極めたが、年とともに諸条件も改善あれ、アジア各地域の戦場を網羅する形で計画的に遺骨収容作業が進められた。昭和27~50年の間の収骨総数は、226,217に上った。この間、民間参加者への補助金交付制度が整備され、昭和45年からは、日本遺族会、各戦友団体、日本青年遺骨収集団等の民間団体が政府派遣に参加協力して御遺骨の収容に汗を流していただいている。
昭和51年以降は、それまでの計画的実施にもかかわらず、相手国の事情、地形、交通手段等諸種の制約により遺骨収集を終えることが出来なかった地域があったため、当初計画の終わった昭和51年以降も引き続き遺骨収集が継続されることとなり、現在に至るも各戦域において収集が行われている。昭和51年~平成23年に御遺骨収容は107,250柱である。しかし未だに110万余柱の御霊が帰還を待ち詫びておられることを思うと胸が痛む。
一方、硫黄島における戦没者御遺骨の収容は、昭和27年の調査開始以来、これまで82回にわたり行われ、合計9,537柱の御遺骨が収容されている。長年の努力にも拘わらず、残念ながら硫黄島戦没者総数21,900名の未だ半数にも満たない。
翻って、硫黄島で戦死した米海兵隊員6,821人の遺体は、一旦同島に埋葬されたが、戦後10年を経過して小笠原諸島の日本返還に際し、全ての遺骨を掘り起こし、米本土の国立墓地(アーリントン墓地)に移されたとのことである。
海外のことではない。硫黄島は日本領土の一部である。本土防衛の先駆けとして戦い、従容として散って逝かれた硫黄島戦没者の残りの御遺骨の一刻も早い御帰還に、我々は全力を尽くさねばならない。
硫黄島の戦いを改めて振り返る
硫黄島は、東京とマリアナ諸島のほぼ中間に位置(東京の南方1200km)する比較的平坦な火山島で、小笠原諸島及び硫黄島列島の内で唯一飛行場建設が容易な島であった。昭和19年6月、マリアナ諸島が米軍に占領された後は、硫黄島はわが国本土防衛の最前線であり、一方、マリアナに航空基地を確保して大型爆撃機B29による日本本土爆撃を開始した米軍にとって、同島は中間着陸場等として航空作戦実施上必須の役割を持つものとなった。
この硫黄島の戦略的重要性に鑑み、大本営は19年5月、小笠原地区集団を改編して新たに第百九師団(長・栗林忠道中将)を編成し、併せて栗林中将に小笠原地区集団長を命じた。
6月、硫黄島に着任した栗林兵団長は即、水際撃滅思想に基づく従来の海岸直接配備を改め、縦深陣地の構築を命じた。事前の砲爆撃で海岸陣地を徹底破壊した後に上陸を開始する米軍の上陸作戦方式に対抗するためのもので、制空制海権を敵に奪われ、友軍地上兵力の増援も期待出来ない兵団としては、島全域に地下洞窟陣地を構築して行う徹底持久作戦により、極力長く敵に出血を強要して本土防衛に寄与する、との作戦構想であった。
硫黄島守備部隊は、水の欠乏、乏しい給食、洞窟内の地熱(48度に達した)などの劣悪な環境とこれが原因の病魔と戦い、あるいは工事器資材の不足、敵の砲爆撃を克服して昼夜連続した陣地構築や訓練に励んだ。構築した洞窟は総延長約18kmに及んだ。
なお硫黄島には昭和19年現在、1164人の住民が居住し、その多くは同年7月内地に緊急疎開したが、扶養者の無い15~40才の男子125名は軍属としてそのまま島に残り、この陣地構築に従事し、その多くが守備部隊と運命を共にした。
一方、海兵隊約6万名、海軍約22万名、艦艇800隻以上からなる米硫黄島攻撃部隊は、3日間にわたる砲爆撃に引き続き、昭和20年2月19日上陸開始、史上希に見る激戦、硫黄島攻防戦の幕が切って落とされた。日米両軍の寸土を争う激しい攻防戦は、米側の言葉を借りれば、あたかも地上対地中の戦いであったといわれる。米側は攻撃に先立ち、艦砲、空爆で徹底した制圧を行う。その支援下に戦車を先頭に攻撃を開始すると、それまで洞窟内に身を潜めていた日本側は突如陣地を飛び出して、迫撃砲で歩兵を制圧し、戦車を秘匿陣地から速射砲、野砲の近距離射撃あるいは爆薬を背負った兵士の肉薄攻撃で破壊する。停止した歩兵を一人一人狙撃する。米側は秘匿陣地を一つ一つ探し当てながら砲撃や爆破で破壊し、火炎放射器で焼きつくしながら前進する。夕刻になると米軍は防御陣地まで後退し、これに対し夜間日本軍が挺身・切り込み攻撃を行う、その繰り返しだったという。
しかし、激戦・敢闘を繰り返す守備部隊も衆寡敵せず、陣地は逐次蚕食されていく。あくまで敵に出血を強要する持久戦闘に撤した守備部隊は、島北部の複郭陣地に依って戦闘を継続したが、米軍は島北部までを占領し、3月14日硫黄島の占領を宣言した。最後まで戦闘を継続した栗林兵団長は、17日大本営に訣別電報を発し、25日夜約400名の残存部隊と共に出撃し、壮烈な戦士を遂げ、日本軍の組織的戦闘はここに終焉した。
1カ月余にわたる硫黄島の戦闘は日本守備部隊にとって孤立無援の戦いであったが、その奮戦は米軍に多大の出血を与え、米軍の沖縄攻撃作戦を1カ月遅延させ、ひいては米側の日本本土進攻作戦を思い止まらせる結果となった。
日本軍の戦死者約21,900名、米軍戦死者6,821名、戦傷者約21,865名。戦死傷者において攻撃側が防御側を遙かに上回る、史上希に見る激戦であった。
硫黄島御遺骨収容に参加して思う
硫黄島の日差しは強い。この地に立ち、この暑熱の中で、地下陣地に潜み、戦い、散華された英霊の方々のご苦労を思い、更に未だにこの炎熱の土中に留まって、故郷への帰還を待ち侘びておられる御霊の66年の長い日々を思うと、心が痛む。お一人でも多くの御遺骨を収容したいと、はやる心で作業現場に向かった。
作業は、骨上げ、搬土、選別、洗骨の分担区分で、日毎に担当を交替して行われた。長年御遺骨収集に携わってこられた遺族会の方々の手取り足取りのご指導も有難かった。
集団埋葬地ということで、掘り進むにつれて次々と御遺骨が現れる。土中で66年の風雪に耐えた御遺骨は脆い。御遺骨を損じないように、1体1体を素手でなでるように土砂を取り除きながら慎重に堀り上げた。
なかに、鉄帽を被ったままの御遺体、軍靴をきちんと履いたままの御遺体にお会いした時は、この戦闘姿勢のままの66年の長い歳月の経過を思い、涙ながらに合掌したことだった。
今回収容した御遺骨は155柱。その大半から、DNA鑑定用の検体(歯・大腿骨など)が採取出来たことは、せめてもの慰めだった。一柱でも多くのお名前が確認され、ご遺族の待つ故郷にお帰りになれることを祈るものである。
最終日、予定の作業日程を終え、まだまだ多くの御遺骨の残る作業場に整列し、去り難い思いを胸に、今回お迎えした御遺骨と、未だ残って帰郷を待っておられる御遺体に向かい、襟を正して黙祷を捧げた。黙祷に合わせ、僚友大久保氏の吹奏する「海ゆかば」のハーモニカに、涙が止まらなかった。
御遺骨収容作業の終始を通じ、作業をご一緒した日本遺族会、小笠原村在住旧島民の会などの皆様の、まなじりを決して御遺骨の収容作業に取り組まれる真剣なお姿に改めて畏敬の念を覚え、この方々のためにも我々慰霊団体協議会が力を尽くさねばならないとの思いを新たにしたことだった。
また、厚生労働省のスタッフの方々の昼夜を分かたぬ献身的な取り組みに深甚の感謝を申し上げるとともに、親身のご支援ご協力をいただいた自衛隊の皆様、そして一緒に収容作業に汗を流していただいた現地自衛隊員の皆様に心からの御礼を申し上げます。
(H23.12.7 柚木文夫記)
慰霊第24号より
民間建立海外慰霊碑の今後について
全慰協事務局
先の大戦においては、多くの日本軍将兵が国のため民族のために戦い散華された。その戦場はアジア全域に及んでいる。その戦場のあちこちに戦後、戦友会、遺族会等の民間の手によって建立された慰霊碑が存立している。戦後の長い年月、それら民間の方々によって維持管理され、戦没者慰霊の行為が営まれてきたそれら慰霊碑が、関係者の高齢化、世代交代等により、今後の存立が危ぶまれている。中には長年訪れる人もなく壊れかけ、現地から非難の声が寄せられている例もある。本問題の今後について近年、慰霊諸団体から協議会に寄せられる要望も多い。
これらの民間建立海外慰霊碑を、今後如何にするか、そのため協議会として何をなすべきかなど、本問題を洗い直し、改めて考え方を整理するため、この度協議会は、理事会の諮問機関として「海外慰霊碑問題検討特別委員会」を発足させた。委員会は、数回にわたり検討会を開いて議論を重ね、その結果を「中間報告」として11月16日の理事会に諮り承認された。
これに基づく今後の活動の具体策については、今後引き続き検討してまいる所存ではあるが、協議会としての取りあえずの方向性について、会員の皆様並びに関係諸団体のご理解と今後のご協力をいただきたく、本「中間報告」の内容を、誌上でご報告申し上げる。
海外慰霊碑問題検討特別委員会中間報告
(今後の民間建立慰霊碑問題の対応について)
1. 状況認識
民間建立海外慰霊碑の状況(H19.5 厚労省資料)
No | 地域名 | 慰霊碑総数 | 良好 | 不良 | 整理済等 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | タイ | 21 | 18 | 1 | 2 | |
2 | マレイシア | 9 | 8 | 1 | 0 | |
3 | シンガポール | 17 | 17 | 0 | 0 | |
4 | インドネシア | 48 | 34 | 7 | 7 | |
5 | ミャンマー | 122 | 107 | 13 | 2 | |
6 | インド | 2 | 2 | 0 | 0 | |
7 | フィリピン | 164 | 123 | 17 | 24 | |
8 | パプアニューギニア | 32 | 24 | 8 | 0 | |
9 | ソロモン諸島 | 20 | 11 | 8 | 1 | |
10 | オーストラリア | 1 | 1 | 0 | 0 | |
11 | ニュージーランド | 1 | 1 | 0 | 0 | |
12 | サイパン・テニアン島 | 64 | 63 | 1 | 0 | |
13 | グアム島 | 17 | 17 | 0 | 0 | |
14 | ミクロネシア | 13 | 5 | 8 | 0 | |
15 | パラオ諸島 | 48 | 45 | 3 | 0 | |
16 | キリバス | 5 | 5 | 0 | 0 | |
17 | マーシャル諸島 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
18 | 中国 | 4 | 3 | 1 | 0 | |
19 | 台湾 | 7 | 5 | 2 | 0 | |
20 | 韓国 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
21 | ロシア | 58 | 36 | 18 | 4 | |
22 | カザフスタン | 5 | 4 | 0 | 0 | |
23 | ウズベキスタン | 17 | 17 | 0 | 0 | |
24 | ハカシア | 3 | 0 | 3 | 0 | |
25 | モンゴル | 1 | 0 | 1 | 0 | |
計 | 681 | 548 | 92 | 41 |
民間建立慰霊碑等整理事業について(H20.12厚生労働省資料(抜粋))
(1)経過
- 民間団体が海外に建立した日本人戦没者の慰霊碑等については、建立後、歳月が経過し建立者が不明になったことなどにより、維持管理を十分に行うことが困難になっているものが多くあるとの指摘がなされているところである。
- こうしたことから、平成12年度以降、在外公館、都道府県及び民間団体を通じ調査を行った。
- これらの慰霊碑等については、建立者が維持管理を行うことが基本であるが、先の大戦に起因して、戦没者等の慰霊のために日本国民が建立したものであることから、国としてもそのまま放置することは適切ではないと考え、平成15年度より、これまでの調査で維持管理状況が不明の慰霊碑等について、その調査を民間団体に委託して行った(調査事業は平成18年度で終了)。
- 更に、上記調査により、その管理維持が不十分なものについては、平成20年度より民間団体に委託し、下記「民間建立慰霊碑等整理事業実施要領」に基づき、当該慰霊碑等の移設等による整理を行っているところである。
(2)現状
当該慰霊碑については、これまでの調査の結果、681基の慰霊碑等を把握し、その維持管理状況は、前掲表のとおりである。これまでの調査で把握している管理状況不良の慰霊碑等については、順次建立者や管理者の了解を得ながら整理しているところであるが、戦後の長い年月の経過とともに慰霊碑の所在や建立者の追跡調査に困難を来しているのが現状である。
(3)民間建立慰霊碑等整理事業実施要領
a 目的
民間建立慰霊碑等整理事業は、戦友会等の民間団体等が海外に建立した慰霊碑等のうち、これまでの外務省、地方自治体及び民間団体等における調査の結果、建立者等関係者が維持管理を行うことが困難な状態にあるものについて、適切な整理を行うことを目的とする。
b 事業の実施方法
- 建立者、管理者等(以下建立者等という)の連絡先が不明である慰霊碑について補完調査を行う。
- 建立者が明らかになった場合、慰霊碑等の維持管理が不良である現状を伝え、慰霊碑等の適切な維持管理を行うよう指導する。
- 建立者等が適切な維持管理を行うことが困難な場合は、慰霊碑等を整理することについて意向確認し、同意書を取得する。
- 整理を行うことに同意を得た慰霊碑等については適切な整理を行う(移設・埋設等を行う際に、必要に応じ清掃及び追悼式等を実施)。
- 事業は、効果的に行われるよう実施期間及び地域に配慮の上計画し、厚生労働省の承認を受けて行うものとする。
- 事業は、相手国等の実情や事故の防止等について、特に配慮して行うものとする。
海外慰霊碑について協議会に寄せられた様々な意見(集約)
- 戦没者を慰霊する日本国民の証として、国が1戦域1基の慰霊碑を造った。これに戦没者慰霊の思いを託することにして、今後、維持管理困難な民間建立慰霊碑は逐次撤去整理すべきだ。
- 国設慰霊碑を1戦域毎1基建立といいながら、アジアの広域に散った240万戦没者のための慰霊碑が僅か15基とは少なすぎる。もっときめ細かい戦場毎の慰霊碑の建立を要望する。
- 海外のあちこちに、廃墟にも似た、半ば朽ち果てた慰霊碑があるのは、日本の恥(日本国の恥、日本人の恥)だ。国の責任で、早急に整理するなり修復するなりの処置をすべきだ。
- 挙げて国のために僻遠の地に赴き戦い亡くなった人々の慰霊碑だ。しかし戦後の不毛の時期、国に替わって戦友会等の民間が、やむにやまれず自力で建立した。今後の維持(あるいは整理)を、国が面倒を見るのは当然のこと。
- 国が民間建立慰霊碑の維持管理が出来ないなら、海外慰霊碑維持管理の半官半民機構を作って、実質的には国の支援で、民間建立慰霊碑の恒久的な維持管理が行われるような仕組み作りを要望する。
- もともと軍人は「草むす屍」を旨とした。その意味で、戦場に建てた慰霊碑はいずれ朽ち果てるべきもの。所在当事国が存置保存を約する以外は、早晩、撤去整理するのが筋と考える。
- 建立者死去等で維持管理困難となった慰霊碑の整理(埋設・移設等)を国が担ってくれることを歓迎する。しかし、破棄・埋設処置は忍び難く、近傍の国設慰霊碑又は特定場所への移転・集合保存処置を希望する。集合保存形式としては、並立配置型、無縁仏集積型など。
- 建立者高齢化、世代交代の進む中、慰霊碑の今後の維持管理には、然るべき現地管理者を確保し、契約関係の確立が必須である。そのための補助金交付を含めた国の支援・指導を要望する。
2. 当協議会に課せられた命題
当協議会設立の経緯から、戦没者慰霊に関する諸問題に関し、慰霊諸団体の意見の取り纏め役、国への要望等のパイプ役として、当協議会に期待するところが大きい。本問題についても然りであり、当協議会設立当初の定款(寄附行為)の事業項目の一つに「海外における戦没者慰霊碑の良好な管理とその慰霊に協力すること」を掲げた趣旨もそこにある。
しかし、資金力、体力共に脆弱な協議会の現況に鑑み、本問題に関し、当協議会が、何が出来るか、何をすべきか、を、命題として検討した。
3. 協議会としての当面の結論
(1) 方針
協議会は、海外慰霊碑の維持管理又は整理のため、慰霊諸団体の意見の取り纏め、国との意見交換や国への要望提出等のパイプ役として積極的役割を担任する。
民間建立慰霊碑の維持又は整理のための資金援助、現地活動等は、可能な範囲での協力に止める。
(2) 個別指針
a補完調査の促進
協議会は、民間建立慰霊碑の維持管理又は整理のため、国の行う補完調査において、下記の類別確認調査の促進を要望する。その際、民間建立慰霊碑全数についての建立者・団体の意向確認を、調査の最重点項目とすることを特に要望する。
民間建立慰霊碑の現況把握の類別の一例
慰霊碑維持保存状況 | 現地管理者等の健在度 | 建立者・団体の健在度 | 備考 | 類別 |
---|---|---|---|---|
〇 | 〇 | 〇 | 1 | |
× | 参拝日本人皆無、管理料送付途絶 | 2 | ||
× | 〇 | 3 | ||
× | △ | 〇 | 4 | |
× | 現地管理者が存置希望 | 5 | ||
× | △ | 6 | ||
× | 7 |
b維持管理への協力
協議会は類別1・3を主として、建立者・団体の要求に応じ、維持管理に努力するに努める。
類別4については、建立者・団体及び現地管理者の体制・健在度を確認しつつ、維持管理への協力の是非を、その都度、個別に判断する。
c「整理」の前倒し推進
協議会は、補完調査の促進に合わせて、建立者・現地管理者の意向に配慮しつつも、国の実施する「整理」の前倒し促進を国に要望する。特に、類別7・6の「整理」について国の主動的役割の発揮を期待する。
「整理」に合わせて、碑の一部移設、碑の記録の永代保存等の建立者要望に応える具体化施策の実現を、合わせて国に要望する。
(3) 補足説明(参考資料―――今後の問題としての国への期待)
a民間建立慰霊碑の将来についての基本的考え方
慰霊碑を建立した民間人・民間団体が、時の経過とともに消滅してゆくのは自然の成り行き。
今、懸命に努力して立派に慰霊碑を維持されている上記「類別1」の民間人・民間団体とて同じこと。また、建立者と心を一にして護持管理に協力されている現地の民間人・民間団体とて同じこと。
今後の永続護持を望むなら、時期の早い遅いは別にして早晩、国又は相手国行政庁等に後事を託さざるを得ない。そこで、「整理」か、相手国行政庁等(行政庁に匹敵する公的機関を含む)に委譲か、または国(国の支援する慰霊碑維持管理機構を含む)に管理禅譲かの選択が出てくると思われる。
しかし又、遠い将来の「委譲」「禅譲」を実現させるためにも、それまで良好な状態で当該慰霊碑を維持管理することは必須要件とも考えられる。
b「整理」について
野曝しのままの慰霊碑の放擲は、相手国に迷惑をかけることでもあり、日本・日本人の恥を晒すことでもある。相手国への仁義、日本の誇りのためにも、国による「整理」の前倒し推進を要望したい(特に「類別7・6」、長期的には「類別4・3」も含め)
今後の「整理」の推進のためには、「類別1・2・3」も含めた経過観察のための継続的補完調査と、遠い将来まで含めた慰霊碑維持に関する建立者意向確認調査が是非必要である。
「整理」の一環として、国設慰霊碑周辺への「移設」要望が浮上してくる。実現を期待したいが、現物移設に替わる代案等についても検討をお願いしたい。
(国設慰霊碑に沿えて「整理」された慰霊碑の碑名・地名を列挙刻記した副碑の設置案など)
c関連する当該戦域所在の国設慰霊碑のあり方について
民間建立慰霊碑の「整理」が進む状況の中で、わが国戦没者慰霊の証として各戦域に国設慰霊碑を護持し戦没者に慰霊の誠を尽くす意義は大きい。
列国の海外慰霊碑の状況調査を
かっての海外戦場に国が戦没者慰霊のモニュメントを設置している諸外国の例は多い。わが国の海外所在国設戦没者慰霊碑のあり方を再確認するためにも、諸外国の海外慰霊碑の現状と慰霊活動の状況についての総括的調査が国の手によって行われ、今後の慰霊碑運営の資とされることを期待したい。
目に見える戦没者慰霊を
国の建立した慰霊碑の現状は、国の権威と誇りを持って厳然と護持されているとは言い難い。警備員(管理人)を常駐させ、日々の清掃・参拝者案内等において日本国の矜恃を示して欲しい。退役軍人等をその掌に充てている列国の例もある。
毎年、政府主催の碑前慰霊祭を厳粛盛大に執り行うなと、目に見える戦没者崇敬慰霊の実を挙げてほしい。それが民間建立慰霊碑の「整理」推進の条件作為にもなることを確信する。
国設慰霊碑の位置・数の見直しを
1戦域1碑の原則で現在の15碑が建立されたと聞くが、戦没者多数の激戦場から離隔していたり、数多の激戦場を有する戦域にも拘わらず1碑に止まるなど、その配置・数に違和感を覚える。また戦後、多数新興国の誕生の結果、戦域と国境とマッチしなくなったことも違和感の一つである。
今後の当該戦域所在民間慰霊碑の整理(移設)を円滑・有意義に行うためにも、現在の慰霊碑の配置・数の見直しについて、今後の検討を期待したい。
上記の国設慰霊碑の位置・数見直し要望の見地から、現在、然るべき激戦地に所在する然るべき民間建立慰霊碑を、将来、国の支援する慰霊碑維持機構設立の暁には、それに移管して恒久的に維持管理することも、遠い将来を見据えた選択肢の一つとして今後の検討を期待したい。